これからの働き方を考える

施主との対話/101 BASE

BACK

クライアントであるナカチカ株式会社に創業100周年の記念すべき年に合わせて計画された101 BASEであったが、コロナ渦により計画の変更を余儀なくされたこともあったという。働き方自体が変化する中において、そんな時代におけるオフィス空間のあり方を提示することも101 BASEプロジェクトの大事な要素になっていった。本稿ではナカチカ代表取締役社長の中島隆介氏の言葉から、本プロジェクトの背景を紐解いていく。

話し手:
中島隆介(ナカチカ代表取締役社長)、月森忍(月造)
テキスト:
加藤孝司
写真:
岡崎果歩

101 BASEが生まれた時代

社長:私が代表に就任した2011年当時はこの場所は倉庫でした。
弊社のオフィスはここから少し離れた場所にあるのですが、当時から中央区日本橋に倉庫を構えていることが資産の有効活用という観点で課題となっておりました。
ですがこの場所が倉庫であることは社員全員にとってコンセンサスがとれていたものですから、タイミングを見計らいつつこの場所の再定義をすることが経営課題のひとつでした。

──1919年に日本橋に創業されたとお聞きしました。

社長:はい。2019年に100周年を迎えることがこのプロジェクトの始まりになりました。

──はじめからリノベーションとして構想されたのでしょうか?

社長:私自身が建築や施工の知識に乏しいものでしたから、倉庫をどのような場所に生まれ変わらせることができるのか、当時お付き合いのあったアートディレクターの古谷萌さんにご相談させていただいたのがきっかけでした。
古谷さんから能作淳平さん、そして月造さんをご紹介いただきました。

──最初に能作さんからカーテンウォールなどのアイデアをお聞きした時にどう思われましたか?

社長:率直に申しまして、50年以上経過して老朽化した物置場所がご提案通りには出来ないだろう、というのが最初の印象でした。

──そうでしたか。

社長:初めにいただいたご提案で壁はガラスばりで自然光が入ってくる様なイメージで、というご提案をいただいたのですが、倉庫を知っている私からするとそれは流石に無理だろうと(笑)。当時は言いませんでしたが、ご提案いただいているものの、40~50も実現できれば十分だろうと思っていました。実際工事が始まってからも、ガラスは無理だから既存壁を活かす案に変更します、となるものだとばかり思っていました。それと実際の工事がコロナショックと重なってしまって......。

──大変な時期と重なってしまいましたね。

社長:本当は100周年の2019年に合わせたかったのですが、弊社もダメージを受けまして。約8ヶ月ほどプロジェクトを停めざるを得ませんでした。そこは月造さんにもお時間をとっていただいているなかで心苦しい部分でもありました。

月森:いえいえ。世の中的には大変な時期ではありましたが、そんな時間にも関係性を深めていけたのは不幸中の幸いではありました。

社長:私が驚いたことはもうひとつありました。コロナの自粛期間にも何度も打ち合わせを重ねながら、一切ご提案に妥協も変更もなかったことでした。本当にこれが出来るんだ、と苦しい時期でしたがワクワクさせていただきました。

10個の多角形テーブルは使い方に応じて組み合わせ可能。集めると3.2m角の大テーブルに。

三つ巴でつくりあげる建築というもの

──2020年春に竣工しましたが、実際に出来上がってみていかがでしたか?

社長:出来上がるまで確信が持てなかったのですが、本当にご提案の通りに出来たんだと驚きでした。もちろん出来上がるまでに、いろいろな課題が見つかったりもしたのですが、結局最後まで下方修正が一切なく、当初のイメージを100とすると100以上のものが出来たと満足をしています。才能のある方が集まると建築を通してすごいことが出来るんだと勉強になりました。

──そのためにもクライアント、建築家、施工会社の三者とのよい関係が欠かさませんね。小さな何かが崩れてしまったらこのようなものは出来ないんだと思いました。

社長:私もそう思います。建築のお仕事に関わらず、それぞれに役割があって、そこに変な強弱が生まれてしまったら、このようなものは生まれていないのだと思います。私としてはお金を出す立場でしたが、私自身パワーバランスを乱すようなことのないように気をつけました。

──そうでしたか。

高さ2.9mの3階スペースを仕切る可動式パーテーション。

社長:建築の素人ながら、非常に難しい案件だと思っていましたので、私自身も建築の方、施工の方、アートディレクターの方への敬意はつねに持っていましたし、双方が同じ思いを持ちながら進められたプロジェクトだったと思っています。

月森:私が嬉しかったのは、社長からは初対面の時からこのプロジェクトのパートナーとして迎えていただけたことでした。現場担当の島本から聞いたことなのですが、打ち合わせを重ねるたびに、持ち場持ち場で任せていただける感じを強くしていったそうです。それがこちらの責任感にもつながり、かつ非常に心強かったと言っていました。ものごとを成し遂げる上での気持ちが通っていることの大切さ、最上のものが生まれる現場とは、こういうものなんだとあらためて感じさせていただきました。

社長:築60年以上経つ建物をリノベーションするという事自体、無茶を言っているという自覚がありましたので、私としてはその無茶を面白がってくださることに本当に感謝しかありませんでした。

使い方で建築の価値を高める

──役目を終えたものは取り壊して更地にして新しいものを建てることが一般的ともいえる現在において、既存の建物を活かしながら、さらに新しい歴史を重ねていこうと思われた背景には、歴史ある日本橋という場所という立地も関係していたのでしょうか?

社長:きっかけは最初にお話させていただいた、中央区日本橋という場所を倉庫として使用しているという経営的な課題からのスタートでしたが、古谷さんや能作さん、月造さんたちとプロジェクトを進めるにあたり、日本橋という場所について私自身少しずつ考えるようになりました。リノベーションをするにあたり、既存の木材や看板なども残して使いたいというアイデアをお聞きして、私どもとしてもこの場所というものの価値、そして時を経てきたものに対する見方には大きな変化が生まれたのは事実です。そのように思えるようになったのは、プロジェクトに携わっていただいた皆様のおかげだと思っています。

既存の柱間に木材を設置して生まれた窓辺のカウンター。

──元倉庫が101 BASEとして生まれ変わったことによる御社の事業への影響というものはございましたか?

社長:いくつかありますが、分かりやすい部分で言いますと採用の部分でしょうか。101 BASEが出来た年に新卒の募集をかけたのですが、一日で想定していた枠が埋まってしまいました。また、採用面接では応募して下さった学生さんが101 BASEの話をものすごくしてくれたので、改めて働く空間に対するプライオリティの高さを知りました。

──それはしっかりいいものをつくることが出来たからですよね。

社長:それはすごくそう思います。それと1階と3階がもつ空間の可変性というコンセプトは使う側としてはとても使いやすかったです。弊社には以前にはなかったスペースですので、会社の機能として広がったということは実感しています。

──特に気に入られたのはどんなところでしょうか?

社長:複数ありまして、内装の部分では3階でしょうか。3階は天井が高く天井裏が見える設計になっており、以前の空間からは想像が出来ないことですが、開放感があって真っ先にお客様をお通ししたいスペースになりました。使用用途の部分では1階部分の四角いテーブルは、対面ではなく、お互いの距離を近くに感じながら打ち合わせができて、社内の会議ではとても使いやすいと感じています。コロナ時代のオフィスという部分では、室内の空調の部分でも、空気が流れる環境をつくっていただいたのもとても良かったです。

──あらためて、今後この空間をどのように活用していかれる計画でしょうか?

社長:せっかく多様性のある建物をつくっていただきましたので、実際に使う我々次第で、この建物がもつより多くの魅力を皆さんにも知っていただけるものと思っています。使う側として、この空間にさらに関わっていくことで、仕事へのよいフィードバックが期待できるのではと思っているところです。

  • 中島 隆介

    (なかじま・りゅうすけ)

    ナカチカ株式会社 代表取締役社長
    1984年神奈川県生まれ。2007年株式会社インテリジェンスに入社し、父が経営する会社へ転職する形で2010年にナカチカ株式会社へ入社。2011年より現職。

  • 月森 忍

    (つきもり・しのぶ)

    有限会社 月造 取締役
    昭和41年生まれ。鳥取県で生まれ十歳まで広島で育つ。父親仕事都合にて東京都に転居。土木会社、展示会場設営会社を経て、平成5年に有限会社月造を設立。現在に至る。

101 BASE

  • 建築設計:JUNPEI NOUSAKU ARCHITECTS
  • アートディレクション:Study and Design
  • 施工:月造
  • 構造設計:TECTONICA INC.
  • 法監修:建築再構企画
  • 竣工:2021年5月